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東日本、そして能登へ

総務部長です。

10月末、週末を利用して、東北・宮城県の女川町に出向いてきました。

2011年3月、東北地方を襲った未曾有の東日本大震災。この大災害は東北地方に甚大な被害をもたらしました。

震源地は宮城県牡鹿半島の南東130㎞付近で、深さ24km。

マグニチュードは1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0、日本国内観測史上最大規模。アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界で4番目の規模の地震だとされています。

亡くなられた方15,844名、行方不明者3,394名、全壊建物128,529戸、半壊建物240,284戸、災害廃棄物は、東日本の太平洋沿岸部を中心に、13道県239市町村において約2,300万トン、津波堆積物約1.1千万トンが発生したとされています。(*内閣府防災情報)

宮城県牡鹿郡に属し太平洋沿岸に位置する女川町は、高さ14.8mの津波が町を飲み込み、人口1万人のうち、亡くなられた方・行方不明者は827名に及び、町の住宅の9割にも及ぶ3,934棟が被害を受けました。(*女川町「震災復興のあゆみ」)

女川町の災害廃棄物の量は44万4千トン。大量の災害廃棄物が町に堆積物となって残りました。

これまでに経験したことのない大混乱の中、石原東京都知事(当時)の大号令の下、東京都、23区清掃一組、多摩市町村、都環境公社、さらには民間事業者(混合廃棄物処理事業者)が、まさに「オール東京」としてチームを組み、他の自治体に先駆けて東北地方の災害廃棄物を受け入れ、清掃工場等で適切に処理、リサイクルを行いました。

受け入れにあたっては、清掃工場所在区市町村の住民の皆様のご理解を頂くために、まず、受け入れ可能な廃棄物の形状・性状の確認、危険物・有害物等の分別状況、放射能対策などを被災地等で確認し、被災地及び都内清掃工場での試験焼却を実施。そして、その試験焼却結果を住民説明会で説明を行い、受け入れ自治体の住民の皆様のご理解とご協力を求めました。

住民説明会は特別区および多摩地域で計33回、延べ約2,000人を対象に開催、まさに大議論の中での受け入れだったと言っても過言でないと思います。

あれから早くも13年の月日が流れました。

女川町は大震災から半年後に復興計画を策定し、復興に向けた歩みに着手しました。

高台に住宅地を整備するとともに、駅を核とした街づくりを進めてきています。

女川駅周辺の土地は海面の高さよりさらに嵩上げし、そこに公共施設、商業、観光施設を整備、女川は復興のトップランナーとも言われ、若い方々の意欲的な取り組みによって復興が進められ、海をのぞむ明るい街に変貌しつつあります。

復興が進む町のシンボルともなっているJR石巻線、女川駅。

3階建ての駅舎を設計したのは、世界的な建築家、坂茂氏。その白く大きな屋根はウミネコが羽ばたく様子をイメージしてデザインされたとのこと。2階には、「女川温泉 ゆぽっぽ」が併設されており、浴場の壁には、世界的に活躍するアーティスト・千住博氏らの原画による富士山や森の鹿を描いた美しいタイルアートが広がっています。3階にある展望デッキに上ると、女川町の明るい街並みと女川港を見渡すことができ、冬には海から昇る朝日を眺めることもできると聞きました。

その女川駅から広がる商業施設「シルバーピア女川」とその後ろに明るく広がる青い海。少しずつ進む女川の復興を象徴するような光景が広がります。

毎年秋になると、災害廃棄物の処理・リサイクルに携わったメンバーが、「おながわ秋の収穫祭(復興さんま収穫祭)」に合わせて女川町に集まってささやかな「同窓会」を開くのが恒例となっています。

女川の新鮮な海の幸でおいしいお酒を酌み交わすかけがえのない時間。思いは常に2011年3月にあると言えます。

くしくも、本年2024年元旦、能登半島大地震が発生しました。

石川県の能登半島地下16km、鳳珠郡穴水町の北東42㎞の珠洲市内で発生した内陸地殻内地震。地震の規模はM7.6で、輪島市と羽咋郡志賀町町で最大震度7が観測されています。震度7が記録されたのは、2018年の北海道胆振東部地震以来、観測史上7回目だと言われています。

元旦の午後という一年で最も穏やかで晴れやかな時に大規模地震に見舞われた被災地の皆様の心情を思うと胸が張り裂けそうな思いに至ります。

まさに、胸が締め付けられる、信じられないような大規模災害ですが、やはり大量の災害廃棄物が発生しました。推計量は244万トンとされています。(*「令和6年能登半島地震に係る災害廃棄物処理に関する基本方針」)

いまや日本は、いつどこで災害が発生しても不思議ではないと言っても過言ではないかもしれません。

小池東京都知事は、本年7月、石川県の馳知事と面会し、能登半島地震で発生した災害廃棄物の一部を都内の処理施設で受け入れることを発表しました。

処理方法は

►石川県内被災市町で発生した建物の解体等に伴う木くず等の災害廃棄物を、鉄道用コンテナを活用し、石川県から都内等の貨物ターミナル駅に輸送

►都内等の貨物ターミナル駅からコンテナ運搬車により清掃工場に搬入

►都内区市町村・一部事務組合の清掃工場において焼却処理

といったスキーム。

こうした処理体制の下、私たち東京エコサービスは、東京都のリーダーシップの下、23区清掃一組はじめ関係者の皆さまと新たなチームを組み、9月末から大田清掃工場において能登半島から送られてくる災害廃棄物を受け入れています。

都内の住民の皆様、事業者の皆様から出される廃棄物とあわせて、被災地の皆様の災害廃棄物を受け入れることは課題も多く慎重な対応が求められます。

しかしながら、私たちはこれからも、13年前と同じように、被災地に思いを馳せながら、搬送されてくる災害廃棄物を単なる「瓦礫」ではなく、被災地の皆さまの思いの詰まった「我歴」として大切にお預かりし、適切に処理・リサイクルしていきたいと考えています。

そして東北地方の皆様が悲しみ、苦しみを乗り越えて、前を向きながら力強く復興に歩を進めてきたように、能登地方の皆様の復興を側面から少しでもご支援できるように心をひとつにして対処していきたいと考えています。

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